2018年4月21日土曜日

企画展「見つけたよ!!昔の出来事 昔の暮らし」が開展しました!


こんにちは。

本日から、企画展「見つけたよ!!昔の出来事 昔の暮らし」が始まりました。




地域に伝わった昔の興味深いモノを紹介し、昔の出来事や、昔の暮らしに興味を持ってもらいたい。そして、地域そのものに興味を持ってもらいたいと思い、企画しました。

会場風景1

会場風景2

会場風景3


本日は、元今治藩主の久松家の次期当主久松定順さんや、今治藩士の末裔であるカメラマンの片岡正一郎さんらが来場され、熱心に見学していただけました。

左から、久松さん、学芸員、片岡さん。


会期は617日(日)まで。会期中は無休です。

この機会に、ぜひご来場ください。

学芸員 藤本


2018年4月8日日曜日

消防団の放水式

こんにちは。

春らしい、良い天候になりました。

本日は、毎年恒例の今治市消防団今治方面隊による放水式が行われました。

※水面の緑色は藻です。今年の春は堀の一部に藻がたくさん発生しています。


午前11時から約15分間、消防車による一斉放水。

今治城の堀を使って行われました。





なかなか壮観でした。

全国でも、お城の堀を使って行われるところがあります。

街の中にあって、人が集まりやすくて、水がたくさんあって、幅が広いので水を飛ばしやすくて・・・

江戸時代のお城が、今はこんな使われ方をされているんですね。

学芸員 藤本



2018年3月30日金曜日

桜が満開になりました!!

こんにちは。

昨日頃から、桜が満開になりました。

これから数日は晴天と予報されていますので、一番の見頃となります。

ぜひご来城ください!!







今治城 藤本

2018年3月27日火曜日

桜の開花状況


こんにちは。

先週半ばまでは1週間ほど気温が低く、天候も悪かったのですが、その後、暖かくなり、晴天の日が続いています。

まさに、春の行楽シーズン本番となりました!!

そしてこの時期、皆さんが気になる桜の開花状況です。
今治城内の桜は、現在、大体3~5分咲きといったところです。





このまま良い天気が続けば、おそらく、今週末に見頃になるのではないかと思います。

是非、お城と桜をご鑑賞のため、今治城へお越しください!!


今治城 藤本


2018年3月1日木曜日

鉄御門・武具櫓外壁改修工事完了のお知らせ

皆さん、こんにちは。

昨年10月から行われていました今治城の鉄御門と武具櫓の外壁改修工事ですが、2月28日現在でほぼ完了致しました。



約4ヶ月間にわたった大工事でしたが、鉄御門と武具櫓は見違えるようにきれいになりました。
以下、工事前と工事後の比較写真を紹介したいと思います。

            武具櫓

before
突き上げ戸の塗装が薄くなっていました


after
突き上げ戸の部分が再塗装されました。

鉄御門枡形内部の多聞櫓

before
下見板張り部分の塗装が薄くなっていました

after
下見板張り部分が再塗装されました

鉄御門の冠木梁部分

before
鉄板が貼られている冠木梁の部分も錆付いて傷んでいました

after
錆付いて傷んでいた鉄板は交換されて再塗装されました

鉄御門扉部分

before
こちらも傷みや錆が目立っていました

after
こちらも錆付いた鉄板は交換され再塗装されました

期間中は地元の方や多くの観光客の方にご迷惑をおかけしたかと思いますが、おかげさまで今治城の玄関である鉄御門と武具櫓の外観は、復元当初のようにきれいになりました。

今治城にお越しになられた際には、修理が済んで生まれ変わった鉄御門と武具櫓にも注目してみてください。

                   今治城 伊津見

2018年1月31日水曜日

今治藩ゆかりの史跡④~大雄寺~

皆さん、こんにちは。

今治藩ゆかりの史跡を紹介するシリーズ、4回目に取り上げるのは松源院・法華寺と同じく今治城下の寺町にある大雄寺です。


大雄寺の山門

大雄寺は、文明年間(1469~1478)に大庵須益によって法界寺村(今治市玉川町)に建立された曹洞宗の寺院です。

関ヶ原合戦後、藤堂高虎が今治地域を治める事になると、高虎の養子である高吉が、実父・丹羽長秀(織田信長重臣)と実母の供養のため、大雄寺を法界寺村から寺町の現在地に移しました。

藤堂時代の大雄寺の様子はよくわかっていませんが、藤堂高吉の実の両親を弔うための寺院として、高吉から手厚い保護を受けていたのではないでしょうか。

大雄寺の境内には、藤堂家ゆかりのものとされる供養塔が今も残っています。


藤堂家ゆかりのものとされる供養塔

寛永12(1635)年、藤堂高吉が伊賀国名張(三重県名張市)に転封となると、入れ替わりに伊勢国長島(三重県桑名市)から徳川家康の甥にあたる松平定房(久松松平家)が3万石で今治に入ります。

これに伴い、大雄寺は藤堂氏の庇護から離れてしまいますが、今度は藩主・定房に従ってきた筆頭家老・久松長政(1564~1657)が亡くなった際、大雄寺に葬られた事から以後は家老・久松家(1000石)の菩提寺として位置付けられるようになりました。


今治藩で筆頭家老を務めた久松長政の墓(奥)。
空襲や芸予地震の影響で、損傷が目立ちますが、
筆頭家老の墓にふさわしい巨大な宝篋印塔です。

久松長政の巨大な墓の前には、7代当主久松清儀(1760~1812)の墓があります。


       
7代当主久松清儀の墓


        
この写真ではわかりづらいですが、側面には
「久松彦兵衛清儀」と刻まれています。

今治藩の筆頭家老を代々勤めた久松家ですが、5代当主長孝が不祥事を起こした事により一時的に失脚してしまいます。
孫の清儀の代になってから削られた石高も300石まで回復し、準家老的な立場までなんとか復権を果たしました。

残念ながら現在久松家の墓は初代の長政と7代の清儀の2人しか残されていませんが、同じ当主でも墓石の大きさの違いから久松家の栄枯盛衰がうかがえます。

なお、大雄寺は久松家だけではなく、上野家(150石)や深谷家(130石)といった給人と呼ばれた上級家臣の多くも菩提寺としており、各家の墓が今も立ち並んでいます。


                    今治城 伊津見

2018年1月10日水曜日

今治藩ゆかりの史跡③~法華寺~

皆さん、こんにちは。

昨年から始まりました今治藩にゆかりのある史跡を紹介していく本コーナーですが、今年も少しずつ更新していければ思っております。
よろしくお願い致します。

新年第1弾は、前回の松源院の記事に引き続き、今治藩主久松松平家とゆかりの深い寺院である法華寺を紹介したいと思います。

法華寺は、今治城下北側の寺町に立地する日蓮宗の寺院です。前回紹介した松源院からだと徒歩5分程のところにあります。


法華寺の本堂
法華寺は、元々今治市玉川町三反地にあった寺院で、江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)に今治城下の新町に移転しましたが、火災による焼失を経て元禄8(1695)年に寺町の現在地に再度移転しています。

享保7(1722)年、3代藩主・松平定陳の娘で和泉国(大阪府)伯太藩主・渡辺家に嫁いでいた幾姫が亡くなると、今治藩から幾姫の位牌を安置する寺として指名され、現在に至るまで大事に守り続けています。

※ちなみに幾姫は江戸・麻布の日蓮宗妙善寺に葬られています。

以後、藩主の娘の位牌が安置されている寺として歴代藩主が参拝に訪れたり、供養料が寄進される等、法華寺は今治藩と深い関係を築きました。

歴代藩主やその家族の位牌は、元々今治の松源院や江戸の霊厳寺といった菩提寺に安置されていましたが、松源院の分は明治2(1869)年に廃寺となって別の寺に移された後に火災で焼失し、霊厳寺の分も大正11(1923)年の関東大震災で焼失してしまっています。

以上の理由で久松松平家の古い位牌はほとんど残っていないわけですが、法華寺にある幾姫の位牌はその中でも現存する数少ないものといえるでしょう。

大きさや華やかな装飾からも久松松平家の格式を偲ぶ事が出来る貴重な文化財です。

3代藩主松平定陳の娘の幾姫(法号:秋岸院殿妙窓日円大姉)
の位牌。大名家の娘の位牌らしく大振りで装飾も華やかです。
今治城 伊津見