2016年11月5日土曜日

講演会「四国の大名と久松松平氏」を開催しました!

皆さん、こんにちは。


11月3日(木)、文化の日に今治城内にある吹揚神社寿殿で、「四国の大名と久松松平氏」という講演会が行われました。


講師は、愛媛大学法文学部教授で日本近世史をご専門にされてる胡光(えべす・ひかる)氏です。


会場の寿殿。吹揚神社さんの施設をお借りさせて頂きました。



たくさんの人に来て頂きました!

講演会の主旨は、安土桃山時代から江戸時代末期までを対象に、四国の大名の配置の変遷を取り上げたものです。


豊臣秀吉による四国平定で、四国には生駒・蜂須賀・福島といった秀吉の息のかかった、いわゆる豊臣恩顧の大名達が集中的に配置されました。これが関ヶ原の合戦後に徳川家康の天下になると、四国の大名配置に変化が生じ、徳川氏の一門である松平氏が次々と送り込まれて江戸幕府の影響力が及ぶようになります。
特に交通の大動脈であった瀬戸内海に面した北四国(松山・今治・西条・高松)が一門の松平氏で固められていたという点については、いかに江戸幕府が瀬戸内海を重視していたかがわかります。


その中で、特に今回の特別展で取り上げた今治藩主久松松平氏と松山藩主久松松平氏は、3代将軍徳川家光の時代にそろって今治・松山に入ってきますが、この両氏が四国に送り込まれた最初の徳川氏の一門でした。
当時の西日本は豊臣恩顧の大名達が多く残り、政情が不安定だった事から、その抑えとして両久松松平氏が送り込まれたという事だそうです。


江戸時代の四国の大名配置は非常に複雑な変遷をたどっていて、わかりにくいところもありますが、胡先生が大河ドラマの話等を交えながら話をされたので、参加者からも非常にわかりやすいという事で好評でした。


                

将軍家と久松松平氏の関係を説明される胡教授。


                

参加者からの質問もありました。

また、今回の講演会の終盤では久松松平氏の末裔で次期当主に当たる久松定順さんにも挨拶をして頂きました。



               

挨拶される久松さん。

講演会は1400~1600と2時間程でしたが、定員間近の65名が参加され大盛況でした。
こうした講演会は、今治城として初の試みでしたが、今後も定期的に行っていきたいと考えております。また多くの方が参加されて地域の歴史への興味・関心を深めて頂ければ、今治城としてこれほどうれしい事はありません。


                                          今治城 伊津見