2016年10月31日月曜日
2016年10月30日日曜日
「緑の少年団」が今治城を見学されました
皆さん、こんにちは。
少し前になりますが、10月26日(水)1330から、「緑の少年団」に所属している市内の吹揚小学校の3年生の生徒さん75名が今治城を見学されました。
「緑の少年団」というのは、子ども達を対象にした団体で植樹や森林の手入れ、緑地帯や河川・浜辺の清掃、募金活動等といった子ども達が自然に親しんでもらえるような活動を全国各地で展開しています。ひょっとしたらご存じの方もおられるのではないでしょうか。
そんな「緑の少年団」ですが、今回そこに加入されている吹揚小学校3年生の生徒さんが今治城の天守と犬走の見学で来城されました。
特に犬走には、県や国の準絶滅危惧種に指定されているような貴重な動植物が数多く生息しています。今回の見学はこの犬走の自然環境に親しんでもらおうという事で企画されたものでした。
石垣の前に整列! |
参加生徒は75名と大人数だったので、安全性を考慮して犬走班と天守班の2班に分けて行動する事に。
犬走班は今治城自然科学館担当学芸員の越智先生が、天守班は今治城学芸員の伊津見がそれぞれ担当しました。
越智先生の解説を聞きながら犬走を見学する生徒さん達 |
貴重なツメレンゲを発見! |
犬走では普段見る事の出来ない貴重な動植物をたくさん見つける事が出来たと思います。
また、自分達が普段通っている吹揚小学校を堀越しに見る事が出来て生徒さん達にとっては新鮮な感じがしたのではないでしょうか。
続いて天守班。
4階に展示してある鯱瓦について解説 |
天守班は時間の都合上、全部見て回る事は出来なかったので、天守の展示品の中でも生徒さん達に興味を持ってもらえそうなものをピックアップして見学しました。
具体的には身分の高い人が乗った駕籠や、藤堂高虎の肖像画、飴買い幽霊の絵や巨大鯱瓦等です。
藤堂高虎の身長や体重、鯱瓦の大きさ等、生徒さん達も初めて聞く話も多かったようで、熱心にメモを取られていました。
2階の自然科学館も忘れず見学。 |
最後は2階の自然科学館も見学し、今治城の貴重な自然環境についても勉強しました。
やはり3年生という事もあってか、歴史モノより自然モノの方に興味津々な子が多かった気が…(;^_^A
この後は犬走班と天守班が交代し、同じような内容でまたそれぞれを見学。1515には終了して解散となりました。
天守はいつでも入れますが、犬走は普段は非公開になっているので今回の活動は生徒さん達にとっては貴重な体験になったのではないでしょうか。
私としても今治市を代表する史跡でもあり、貴重な動植物が生息するこの今治城に対してもっともっと生徒さん達が興味を持ってもらえたら嬉しく思います。
今治城学芸員 伊津見
2016年10月26日水曜日
特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」~エピローグ編~
これまで2回に亘って紹介した特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」。
多少なりとも貴重な史料が今回展示されている事がわかって頂けたかと思います。
そんな特別展ですが、オープン初日の22日(土)、なんと特別ゲストとして久松松平家の末裔で、次期当主(15代目)になられる久松定順さんとその親族の方達が東京から見学に来てくださいました。
もともと今回の展示の中心になっている史料群も定順さんの祖父、定秋さんから寄贈されたもので、話を聞くと、展示されている甲冑は昔、祖父の家の納戸の中にしまってあったとか、挟箱は絶対に開けてはいけない「開かずの箱」であったとか。久松家の方達のみが知る貴重な昔話もその場で聞く事が出来ました。
また、こうした大名家を特集した展示を、その末裔の方が見学に来られるというのもなかなか珍しい事だと思います。久松さんご一行が熱心に見学される様子を見て、こちらとしても感慨深いものがありました。
今回の特別展が旧藩主家たる久松家と今治との関係をさらに深めるきっかけになってもらえたらと考えています。
会場の山里櫓前にて久松定順さん(左)と学芸員とで記念撮影。
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おわり
学芸員 伊津見
2016年10月23日日曜日
特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」~本編~
前回の記事では、久松松平氏がどのような一族なのか、徳川家との関係性もからめて紹介致しましたが、久松松平氏が徳川家康と非常に近い存在であった事がわかったと思います。
今回はその久松松平氏にゆかりのある文化財を展示した特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」の様子について一部ですが紹介致します。
まずは2つある会場のうちの1つ目(第2会場)、天守4階から
天守4階も特別展の会場に模様替えです! |
5代藩主松平定郷が、蹴鞠の家元の飛鳥井家からもらった蹴鞠装束の免許状等、歴代藩主やその一族にゆかりのある書画や史料を展示しております。
定郷は蹴鞠のプロ? |
天守4階が第2会場となっていますが、順路の関係上ここから見学してもらった方が都合は良いかと思います。(順路がわかりにくくてごめんなさい・・・)
続いて第1会場たる山里櫓です。
第1会場山里櫓の入口です。 |
主に展示しているのは、藩主自筆の書画や、
6代藩主定休自筆の「自画賛 暮歳図」 |
初代藩主松平定房が、琉球国王の尚貞王からもらった感謝状、
以上1984(昭和59)年に久松家から今治市に寄贈頂いた文化財を中心に展示しております。 しかし、これら数多くある展示品の中でもっとも注目すべきものは以下の2つと云えるでしょう。
①領地朱印状
江戸時代、全国の大名達は将軍から領知朱印状という、領地支配を保証する書状を発給してもらっていました。この朱印状は将軍の代替わり毎に発給されており、大名による領地支配の根幹をなす上でとても大事な書状といえます。
しかし、歴代将軍の領地朱印状全てが今も残っている大名家はほとんどありません。明治維新後に内務省が旧大名家から朱印状を回収してしまい、関東大震災で焼失したためと云われています。幸い久松家(明治維新後に松平から久松に復姓)には、歴代将軍からもらった領知朱印状が全て残っており、今回一部ではありますが、展示する事になりました。
➁松平定房公所用甲冑
もともとは天守2階に展示していた初代藩主松平定房公が所用していたと伝わる甲冑。
今回、特別展に合わせて甲冑の専門家の方に依頼して調査して頂いたところ、本甲冑は江戸時代初期の「尾張具足」という形式の甲冑である事、籠手や兜等のパーツが2通り存在し、それらは実戦用と儀礼用で使い分けていた事が判明しました!
そのため、今回は実戦用のバージョンを展示し、儀礼用のバージョンは写真パネルで展示して両者の違いを比較しやすいようにしています。
以上、ざっとですが、特別展の内容について紹介させて頂きました。
領地朱印状や官位の叙任に関する任命状等、普段なかなか見れない貴重なものも多数展示しておりますので、ぜひ多くの人にお越し頂ければと思います。
そしてこの特別展を通して江戸時代、230年に亘って今治を治めた久松松平氏について多くの方が興味を持って頂ければ幸いです。
特別展に関する記事は次が最後です!
つづく
学芸員 伊津見
2016年10月22日土曜日
特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」~プロローグ編~
本日より今治城天守4F・山里櫓において、平成28年度今治城第2回特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」が始まりました!
本特別展は、今治城を築いた藤堂高虎とその養子の高吉が、伊勢・伊賀に移封された後に、江戸幕府から3万石を与えられて今治に入ってきた久松松平氏にスポットを当てたものになります。
さて、その久松松平氏とはどんな家なのか?
「松平」と付いているからには徳川氏の一門では?と思われる方もおられるかもしれませんが、まさしくその通り。
ただし、その成り立ちには他の松平氏とは異なる特殊な事情を見る事が出来ます。
と、いうのも久松松平氏はもともと久松氏と名乗る尾張国(愛知県)の一豪族でしたが、戦国時代後期に当時の当主であった久松俊勝は、近郊の水野氏からある女性を再婚相手として迎えます。
実はこの女性こそ、徳川家康の生母で当時、実家である水野家に戻っていた於大という人で、この俊勝と於大との婚姻がその後の久松氏の行く末を決めたといっても過言ではないでしょう。
2人の間には多くの子ども達が生まれますが、彼らは家康から見たら父親は違えど同じ母親の腹から生まれた兄弟姉妹。実の兄弟姉妹がいなかった家康にとっては信頼出来る親族でありました。その証拠に家康はこの父親違いの弟達全員に徳川氏が以前に名乗っていた松平姓を与えます。これが久松松平氏の始まりです。
この弟達のうちの1人に定勝という人物がいましたが、今回スポットを当てた今治藩主久松松平氏の初代である松平定房は、この定勝の五男になります。幕府からの信頼厚く、将軍の名代として上洛したり、江戸城の留守居役を任される程の人物でした。
その定房が藩主として今治城に入ったのは1635(寛永12)年。
以後10代230年に亘って久松松平氏が代々今治を統治してきましたが、今回の特別展はこの久松松平氏に伝来する文化財を大公開するものになります!
今回の特別展は一体どんな展示なのか、その内容については明日また記事としてあげたいと思います。
(つづく)
特別展のポスター |
学芸員 伊津見
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